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第17回

「ロージーズ」

1971年に、当時彼女だったロージーという名前を付けた「ロージーズ」というお店をはじめたんだ。彼女は、ドイツ人とイギリス人、日本人の血が混じっていて、明治のはじめごろに貿易商として来日したのがMossという人で、日本髪を結って着物を着た日本女性と結婚して生まれたのがシャーロットという彼女のおばあちゃん。そのシャーロット・モスさんが第2次大戦前にドイツ人の貿易商と結婚して生まれたのが、ロージーのお父さん。ドイツ国籍で、戦争中もずっと日本に住んで商売をしていた。きっと日本は戦争中に日・独・伊の3カ国連合を結んでいたので、ドイツ人は日本に住むことことができたんだろうね。戦後も彼は商売をしていて、日本人女性と結婚してロージー(ローズマリー)が生まれた。当時は、アメリカの軍人と日本女性が結婚する風潮があったので、同じような感覚だったんだろうね。そんな彼女との関係があったから、ドイツの子供服とかヨーロッパの食器などをドイツなどから輸入して「ロージーズ」で売っていた。彼女は日本語と英語とドイツ語ができたから、日本語に訳してもらって貿易をやっていた。お店は、材木座の裏手にあり、地の利は良くなかったけど、家賃が安かったのでそこではじめたんだ。

 「ロージーズ」をはじめる前にすでにオニールのウェットスーツをオーダーしていた。なにしろインターネットもファックスもない時代だから、オーダーのやり取りはエアメールで、商品は船便だから時間がかかったんだ。ウェットスーツはオニールとシースーツ、それからオニールのオーストラリア・バージョン、OEMで作っていたオーストラリアのメーカーからも輸入した。なぜならば、当時はオーストラリアドルが安かったんだよね。でも、いまいち品物は良くなかった。サイズはS、M、Lのスリーサイズ。Sが日本のMサイズで、Mが日本のLサイズ、Lが日本のXLという感じだった。当時、高いウェットスーツは600ドルちかくしたから、1ドル360円の時代だったから、円換算で20万円ちかくしたね。それでも年に10着ぐらい売れたかな。ウェットスーツは10%から20%の関税をとられたね。だから、輸入というのは大変なことなんだけど、オイルショックとかで、あっという間にドルが値下がりしたんだ。360円からら240円〜175円ぐらいまで円高ドル安だったけど、そのころにはおれはウェットスーツを作りはじめていたから、あまり為替には関心がなくなっていた。オニールのウェットスーツは日本では、ほかにザ・サーフとJSPも売りはじめていたね。量的にもJSPのほうが多いので、おれはもうこれはダメだなって思いつつも、メインはウェットスーツじゃなくて、ほかのものもたくさん売っていたので、それほど気にしなかった。

 「ロージーズ」では、サーフィン関連の商品はオニールなどのウェットスーツ以外では、カリフォルニアTシャツを輸入して売っていた。米『サーファー』誌などの雑誌類も輸入していた。雑誌や書籍などは関税がかからないから輸入しやすかったんだ。当時、インターネットなどないから、『サーファー』誌を見て、サーフィンの情報を仕入れていたよ。カリフォルニアTシャツも『サーファー』誌に掲載された広告を見て輸入をはじめたんだ。サーフィン用のワックスはもうすでに輸入しているやつがけっこういて、JSPなどがサーフリサーチ社の「ワックスメイト」を扱っていて、日本国内で流通していたね。そんなあるとき、ドロップアウトのエド(故小川秀之)が「SEX WAX」を輸入しようとしたんだけど、日本の税関で引っかかってしまい、「このSEX WAXって、何だ?」ってストップしてしまっていたんだ。それで、エドがおれに助けを求めてきたので、彼女に英文で、「商品説明を書いてくれ」って「SEX WAX」のZOG社に手紙を書いて送ったんだ。それで返事があったんだけど、「SEX WAX」を作っている連中はカリフォルニアのトンでるサーファーたちだから、「ユア・スティックにこれを塗るとベストで、エクスタシーを感じるよ」って書いてあるんだよ。そんな商品説明じゃ日本の税関を通るわけないじゃない。それで、書類やサインなどを偽造して作り直して、やっと通関できたんだけどね。おれは、ワックスは自分で作れると思ったから、輸入はしなかったし、じっさい日本で作ってお店で売っていた。「ビネガーワックス」という名前のワックスを作ったんだよ。でも手作りだからたくさんはできないんだ。せいぜい10〜20個、がんばって100個が限界だったね。

 サーフィン雑誌を見ていて、「これはいいな」って輸入をはじめたのがカリフォルニアTシャツ。そこそこ売れたけど、輸入しきれない。LC決済だから銀行に預金が必要なんだ。預金はなかったから、現金で払ったけど、せいぜい100枚単位しか輸入できなかったね。1枚8ドルぐらいで入ってきたから、3,000円ぐらいで売ったのかな。当時、普通のTシャツが5ドルぐらいだったけど、カリフォルニアTシャツはエアブラシの絵柄が立派だったから高かったんだろうね。

 「ロージーズ」をやっているころ、日本の、とくに湘南のサーファーの流行りはネルシャツにジーパンだった。それも古着で着るのが流行っていたので、リーバイスやリーの古着のジーンズを穿いていた。お店で売る古着のジーンズを手に入れるのに最初のころは、アメリカからウエス、つまりボロ布を輸入していた業者がいたので、その会社の倉庫へ行って、ボロボロのジーパンばかりが入っている袋をキロ単位で買っていた。袋を開けると、まったくダメな袋もあるし、なかから良いコンディションのジーンズが出てくる袋もある。それで、リーバイスのジーンズを1本1,000円から5,000円、メチャクチャ良いものは1万円ぐらいで売っていた。あるとき、袋の中から自分用にリーバイスのジャケット、Gジャンを取っておいたんだけど、背中に丸い穴が空いていたんだよ。あとで想像したんだけど、だれかそのGジャンを着ていた人が拳銃で撃たれて、ついた穴じゃないかなって思ったね。そのジージャンを着てカリフォルニアへ行ったときに、取引のあった古着屋のやつが、「1,500ドルで売ってくれないか」って頼まれたんだけど、「気に入っているから、だめ!」って断ったことがあった。そのリーバイスのGジャンはつい最近まで持っていたんだけど、ヤフーのオークションをチェックしたら、古着のGジャンが5万円から10万円で売っていたので、もうボロボロになったおれのGジャンもヤフオクに出品したら5万円で売れたんだ。問い合わせもすごかったけど、そのGジャンはビンテージだったのかもしれないね。おれはそういうの、あまりわからないから。

 そのカリフォルニアの古着屋とはいろいろ商売をしていて、おれは日本から古着を輸出して彼に売っていたんだ。1950年から1960年代の横須賀のスカジャンや日本のアロハシャツを売っているお店が横浜や横須賀にあって、そこへ行って「余分の在庫がない?」って訊くと、けっこう出てくるんだ、絹でできたアロハシャツとか。それを「ロージーズ」で売ったり、一部をアメリカに輸出していた。アメリカ人向けのでかいサイズのアロハやスカジャンがけっこうたくさんあって、それを輸出していた。綿のアロハは1回洗うとつんつるてんになっちゃうんだよね。スカジャンは「ロージーズ」ではあまり売れないから、アメリカへ持っていって、売ったんだよ。輸出入の貿易をしていたのは1971年から1976年ぐらいのあいだかな。スカジャンは古着じゃなくて新品の在庫品、つまりデッドストックでだれも着てないだけなんだよ。そしたら、ハリウッドの古着屋は大喜びで買ってくれたね。たぶん、段ボール一箱、20着ぐらい入っていた。それにはおもしろい話があって、ハリウッドの古着屋から電話があって、「おまえの持ってきたスカジャン、シカゴ(アメリカのロックバンド)のメンバーのやつが買っていったぞ」って言っていた。おれは500円ぐらいで売ってあげたのに、そいつは1,000ドルぐらいで売っているんだよね。おれは商売っ気がないんだろうね。

 カリフォルニアTシャツ(以下、カリT)を輸入して2年ぐらいすると、みんな、バックプリントのカリTの人気に気がつきはじめて、横須賀のやつが「直接、カリフォルニアから輸入してもいいですか?」って訊かれたから、「いいよ」って返事してあげたんだ。当時、カリフォルニアにいたジミー(山田)に連絡して、彼にカリTを日本に送ってもらうように頼んであげたんだよ。そしたら、3年目ぐらいになるとジミーたちも、「日本でカリTが売れるぞ!」って、気がづいて、今度はジミーが直接日本でカリTの日本支社を設立して販売をはじめることになったんだ。それでジミーは大儲けしたんだよ。でも、カリTを日本に輸入したのはおれが最初だよね。オニールもほぼ同時かな。『サーファー』誌も洋書店以外ではたぶん日本ではおれが最初だとは思うけどね。それからシープスキンブーツ、最初はカリフォルニアから輸入していたんだけど、オーストラリア製ということがわかったので、それもジミーにゆずってやったよ。ジミーはカリTを止めた後、同じ稲村のお店で看板を付け替えて「ホットバタード」をはじめていて、グッズをオーストラリアから入れていたからね。最初にカリフォルニアから入れていたシープスキンブーツを1年履いたんだけど、すごく良いんだよ。タグを見たらメイド・イン・オーストラリアって書いてあったので、だったら直接オーストラリアから入れればいいと思ったんだ。ジミーはオーストラリアにコネクションがあったので、「おれは輸入しないけど、おまえ、シープスキンブーツを輸入しないか」って持ちかけたら、ジミーが輸入をはじめて日本でも爆発的に流行って、今のように一般の靴屋でも売るようになったんだね(シープスキンブーツの顛末(てんまつ)は「貿易障壁」のブログを参照)。

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